ホテル イタリア軒

ホテル イタリア軒
照明 ステンドグラス

受け継がれてきた
伝統を大切に
都市型オーベルジュとして
これからも

STORY新潟に育てられた
150年

ミートソース
ハヤシライス

01 日本初のミートソースを
提供したレストラン

明治14年、イタリア人青年ミオラが開いた「新潟初の西洋料理店」。創業当時より作り続けているミートソースやデミグラスソースが決め手のハヤシライスは、現在に至るまでイタリア軒を代表する料理として多くの方に愛していただいております。

  • 初代イタリア軒
    明治14年(1881年) 初代イタリア軒
  • ピエトロ・ミオラ
    ピエトロ・ミオラ

01

日本初のミートソースを
提供したレストラン

02 洋食&社交の中心として
育てていただいた150年

大火による全焼など、数々の苦難を乗り越え「新潟の鹿鳴館」と称されるほど大いに繁盛したイタリア軒は、新潟における洋食文化発祥の地として、そして紳士淑女の社交の場として150年に渡り育てていただきました。

  • 戦前のダンスパーティー
    戦前のダンスパーティー
  • 会員制の撞球場
    会員制の撞球場

02

洋食&社交の中心として
育てていただいた150年

ホテルイタリア軒

03 愛する新潟を
「食の発信地」として展開

新潟で産まれ、育てていただいたレストランは、昭和51年にホテルイタリア軒として宿泊できるレストランとなり、創業150年の節目を迎えました。私たちは、これからも愛する新潟の食文化を「食の発信地」として内外へ展開していきます。

03

愛する新潟を
「食の発信地」として展開

150th Series Item創業150年
“洋食” 誕生の地
伝統の洋食シリーズ

新潟初の本格西洋レストラン「イタリア軒」は、150年もの間、新潟市民とともに変わらぬ味を守りながら歩んできました。当時から愛されてきたメニューを大切に、そして同時に時代とともに変化し続ける「ご馳走」をご提供できるよう、料理・サービス共に挑戦し続けています。

ミートソース物語

ミートソース物語

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ハヤシライス物語

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新潟咖哩物語

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ミートソース物語

ミートソース物語

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ハヤシライス物語

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新潟咖哩物語

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PUBLICATION小説 イタリア軒物語

明治の新潟に魅了されたイタリア人
ミオラの創業物語

2024年10月18日(金)発売

著・宮島敏郎
本体価格/1,300円+税
発行:ウイネット出版

新潟の街と人に魅せられ
西洋料理店を開いたミオラ

 イタリア軒があるのは料亭と割烹街の一角で、夕刻ともなれば芸妓さんたちが行き交う通りです。
  この場所でイタリア軒は、開港の街、新潟を象徴する西洋料理店として明治初めに誕生し、やがてレストラン・ホテルとなり親しまれてきました。
  レストランもホテルも、優れたホスピタリティや良質なサービスがその価値を決めます。あわせて、その歴史や紡いできた物語が豊かであるほど、深い味わいを利用する皆さまに感じていただけるのではないかと思っております。
  2024年秋、『小説・イタリア軒物語』が刊行されました。膨大な資料をリサーチし著された歴史小説です。
  イタリアからやってきたミオラはなぜ新潟で料理店をはじめたのでしょうか。ミオラを魅了した明治初期の新潟はどんな街だったのでしょうか。そして彼と彼をとり巻く人たちとのあいだにはどんなドラマがあったのでしょうか。
  本書は、ミオラが新潟の人たちに励まされ、助けられ、料理店づくりに取り組んでいく物語です。
  小説からその一部をご紹介しましょう。

イタリア軒が誕生したのは、日本に文明開化の時代が訪れたころでした。
  明治7(1874)年、ミオラはスリエ曲馬団(サーカス団)の一員として新潟を訪れ、食事をつくる日々を送っていました。ところがある日、馬に蹴られて怪我をします。
  治療にあたったのは竹山医師で、舞妓のお千が身の回りの世話をしました。二人の人柄にミオラは惹かれます。
  江戸時代の新潟は、商人が町役人として治める自治の傾向が強い町で、よそ者を拒まない風土を培ってきました。街に吹く自由の風と、親切で優しい人たちそして良い食材の存在。ミオラはこの魅力的な街で暮らしていくことを決意するのです。
  上古町の旅館に調理人として雇われ働くようになったミオラは、楠本県令の支援を受け、明治8年に牛肉店を開業します。
  お千と結婚したミオラは、お千の故郷である佐渡へ牛の仕入れルート確保のために訪れます。続いて東京と横浜へ旅した二人は、そこで牛鍋店の様子を目と舌で確かめ、調理人をスカウトします。新潟に帰った二人は牛鍋店を立ち上げました。
  新潟大火で焼けてしまった店を再建したのは明治14年のことでした。「イタリア軒」という名を持つ本格的な西洋料理店の誕生です。
  ミオラは雇い入れた調理人の長谷川と、ソースや新メニューの開発に取り組み、その料理は多くの人に愛されるようになります。
  大正元(1912)年、ミオラはイタリアのトリノに帰り、82歳で生涯を閉じます。
  イタリアでミオラは、折あるごとに人にこう語っていたと言います。
「世界で一番よいところは日本で、その日本で一番よいところは新潟」

HISTORY新潟とイタリア軒の
あゆみ

  • 1874

    明治7年(1874年)にイタリア人ピエトロ・ ミオラ氏が当時の県令楠本正隆氏の力添えで営所通一番町に新潟初の西洋食品店を始める

    新潟のできごと

    明治7年、第四国立銀行開業。新潟川汽船会社 が新潟―長岡間に蒸気船を運航する。

    ピエトロ・
                                ミオラ氏
  • 1881

    ⼤⽕で店が焼失してショックをうけ、イタリアへ帰ろうと思い悩むミオラを周囲の⼈達が励まし、⻄堀に⽇本で初めてイタリア⼈が開いたレストランを誕⽣させる

    新潟のできごと

    ⻄堀通に新潟区役所(後の初代新潟市役所)庁舎が落成する。

    ⽇本で初めてイタリア⼈が開いたレストラン
  • 1923

    2代⽬イタリア軒。⼤正9年に株式会社として発⾜し、コンクリートと⽡礫造りの3階建てに変身

    新潟のできごと

    ⼤正11年、新潟市街⾃動⾞が新潟市内で路線バス営業を始め、⼤河津分⽔が通⽔する。

    2代⽬イタリア軒
  • 1940

    3階⼤広間の婚礼のテーブルセット。100名余の出席者の⼤婚礼で、お料理は⻄洋料理のフルコースが基本。テーブル装花とキャンドルなど現在の基礎が既に完成している

    新潟のできごと

    新潟鮮⿂問屋が柳島に移転して新潟中央⽔産市場になる。

    3階⼤広間の婚礼のテーブルセット
  • 1973

    閉館間近の昭和48年(1973年)当時の3代⽬イタリア軒。屋上ビアガーデンの看板に「サヨナラ屋上ビアガーデン」と書かれている

    新潟のできごと

    新潟空港初の国際定期航空路、新潟−ハバロフスク線開設。新潟市⺠病院開院。

    閉館間近の昭和48年(1973年)当時の3代⽬イタリア軒

2024

昭和51年に、ホテルとして生まれ変わった現在のイタリア軒

昭和51年に、ホテルとして生まれ変わった現在のイタリア軒。このホテルのレストランには、ミオラが異国の地で一心に創りあげた「イタリア軒の味」が今も生き続けている

FUTUREイタリア軒の約束

明治7年に創業したイタリア軒はおかげさまで150周年を迎えました。

オープン当初から3度の火災に遭う中でも、日本で初めて提供されたといわれるミートソース「ボロニア風ミートスパゲッティ」のレシピは口伝で残り、現代もリストランテマルコポーロのシェフにタスキを繋ぐように受け継がれています。そして、その味は老若男女を問わず多くの人々に愛していただき、親しまれてきました。

新潟の洋食文化発祥の地として、また社交の場として愛されたレストランは、昭和51年にホテルイタリア軒となり、2023年にはホテル全室を一新し「泊まれるレストラン」として新たなスタートを切りました。

150年間育てていただいた愛する新潟を、その豊かな食文化を、ホテルイタリア軒は「食の発信地」として、これからも内外へ展開していきます。